79 達川光男(たつかわ みつお) †
監督時代の登録名は達川晃豊*1。大野豊は同学年で、現役時代からの親友。
現役時代は野村克也と並ぶ「ささやき戦術」を駆使した事で知られていた。
1992年オフに現役を引退し、1995年に古葉竹識の監督起用を企図していたダイエーのバッテリーコーチに就任し(実際の監督は王貞治*2)、城島健司らの育成に成果を挙げた。
1999年に三村敏之の後を受けて広島監督に就任したが、2年連続5位と成績は低迷した。ただ、後に阪神に移籍した金本知憲は達川時代を振り返り「チームは弱かったけど楽しかった」と語っている。一方で負けが決まっている情勢であったからか、個人の記録を尊重していたようでトリプルスリーを達成したい金本の意思を尊重し、本来、盗塁をするタイプでなかった金本にグリーンライトを与え、本塁打の本数を伸ばすために早い打順に回したりした。のちにフルイニングの世界記録を作ったことからも「もう少し、早く出番を挙げて、もっと伸ばしてあげればよかった」と後悔したこともあった。
現在は野球解説者として活動している。
2003年に星野仙一の招聘を受けて阪神バッテリーコーチに就任。リーグ優勝に貢献した。
2013年10月22日、翌2014年シーズンから中日ドラゴンズの一軍バッテリーコーチを務める事が球団から発表された。11月1日には背番号が90に決定したことが発表された。2015年一軍チーフバッテリーコーチを務め、2015年は12捕逸を記録しリーグワーストタイだった。同年10月13日に2年契約の満了を持って退団することが発表された。
2017年からは、福岡ソフトバンクホークスの一軍ヘッドコーチに就任することになった。同年のリーグ優勝、日本一に貢献し、2018年契約満了で退団。2019年からは、フジテレビ・J SPORTSの野球解説者に復帰し、テレビ新広島を含む他局の野球中継にもゲスト解説者として出演ていた。
広島県広島市東区牛田出身。(広島商高→東洋大→広島→引退→福岡ダイエーコーチ→広島2軍監督→広島監督→阪神コーチ→中日コーチ→福岡ソフトバンクコーチ)
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