村田修一(むらた しゅういち)@動けデブAA保管庫

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現役時代は横浜ベイスターズや読売ジャイアンツ、栃木ゴールデンブレーブスでプレイしていたロッテ一軍打撃コーチ。
通称、男村田、ウゴ・ケデブ、引退試合クラッシャー。
高校時代は投手として甲子園に出場し、大学で野手に転向。
伸び悩んだ時期もあったが、その悔しさをバネに成長し、ベイスターズの4番として中軸を担うようになった。
2007年に初のフル出場と2年連続の30本100打点を達成し、初のタイトルも獲得。
本塁打王は広島・佐々岡真司の引退試合で放った一本が単独タイトル獲得の決定打となったが、
競っていた一人が後の同僚、そして上司となる巨人・高橋由伸であった。
翌年には2年連続の本塁打王を獲得した。
北京五輪・2009年WBCの日本代表に選ばれ、WBC予選の中国戦や韓国戦では見事なホームランを放った。
「だいたい自分は巨人が嫌いです」「将来億稼ぐようになったとき、昔数百万でゴネたと言われたらみっともない」
などのビックマウスの持ち主としても有名である。相方の吉村裕基とともに日々精進していた。
2011年オフにFA宣言して巨人に移籍した。
2012年5月1日に第76代巨人軍4番打者となった。
2013年はWBC日本代表に落選、レギュラーシーズンも前半戦は大きく出遅れるもオールスター明けから覚醒、
特に8月は月間安打46本を放ち、セリーグの月間安打記録を更新する活躍ぶりで巨人のリーグ二連覇に大きく貢献、
自身初となるゴールデングラブ賞を獲得した。
2013年オフより巨人移籍組では初となる選手会長に就任する。
2015年はシーズン前から不調で、打撃面のみならず守備でも5月4日の広島戦でホアン・フランシスコとお見合いする形で
24年ぶりとなるサヨナラインフィールドフライを記録するなど巨人の主力構想から外れるには十分な内容であった。
3年契約最終年となる2016年は帳尻力ベテランの意地を見せ、シーズン中盤〜後半は5番に定着。
全試合出場を果たし打率3割を上回り、リーグトップの32二塁打、自身初のサヨナラ満塁ホームランを記録した。
一方でリーグワースト1の21併殺、ワースト3タイの15失策と相変わらずの不安定さも見せた。
単年契約で挑んだ2017年はケーシー・マギーの入団で出番が減り、15年連続で2桁HRを記録したが、規定打席未到達者では最多の15併殺を記録、
シーズン終了後ついに戦力外となり、2月までオファーを待つもどこからも指名されず、BCリーグの栃木に入団。
その後もNPBからの指名を待ったが結局指名されず、2018年9月9日に現役を引退した。
シーズンオフに巨人ファームコーチに就任。2019年CS終了後に鈴木尚広の解任と同時に一軍コーチに昇格。
日本シリーズ後は再びファームコーチに戻り、2020年シーズン中に臨時で一軍に招聘された阿部慎之助の代役としてファーム監督に就任。シーズン終了後に一軍野手コーチに就任する。
2022年に巨人Bクラスの責任を負い解任されるが、同年オフに千葉ロッテ一軍打撃コーチに就任。
福岡県糟屋郡篠栗町出身。(東福岡高→日大→横浜→巨人→栃木→引退→巨人ファームコーチ→巨人一軍打撃コーチ→巨人ファームコーチ→巨人野手コーチ→千葉ロッテ一軍打撃コーチ)
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Last-modified: 2023-02-23 (木) 13:42:25 (596d)