原辰徳(はら たつのり)@ジャイアンツ愛AA保管庫

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前読売ジャイアンツの第14/16代監督。通称、永遠の若大将、ルンバ。

中高時代から長嶋茂雄を目標として野球を始め、プロ野球選手を目指した。
高校〜大学時代からのチームメイトの津末英明は親友で、真弓明信は同郷の先輩で、菅野智之は甥(妹の子)にあたる。
また、どんでん江川卓とは、大学時代の日本代表からの親友でもある。
父、原貢(東海大監督)との親子鷹で注目を浴びて、ハンサムなルックスということもあり高校時代から甲子園のアイドルに。
1980年オフのドラフト会議では最大の恩師、故・藤田元司監督の当たりクジに導かれ1巡目で巨人へ入団。
翌81年にレギュラー座をつかんで、中畑清からサードを受け継いで、兎ファンから、拍手されてデビューした。
1980年代の巨人唯一の右の長距離打者、12年連続20本塁打は清原和博に次いで2位。
同時に王貞治監督から寵愛を受け「4番サード」として抜擢されたことは有名。
それは「.284、40本塁打、190打点」を目標とする課題をクリアすることだった。
ON砲には及ばないものの個人を殺し常勝チームの4番の責務を果たしてきたが、
王監督の贔屓起用によるフォローを受けたため、引退時を除き凡退時のポップフライばかりを取り上げられてきた。
徐々に手首、肉離れ、持病のアキレス腱痛と故障が多くなり、第二次長嶋政権の時は補強で落合博満と清原らが
巨人に移籍した事情もあり、王政権時と異なり、なぜか長嶋監督から冷遇される形で、長嶋の息子一茂などに代打を出されたり、
あるいは原自身が専ら代打専用が多くなった。1995年オフに引退を表明した。

1999年に次期監督候補として、長嶋政権で野手総合コーチとして現場復帰。
鈴木尚広などの発掘や、阿部慎之助の起用をサポート。
2002年には「ジャイアンツ愛」を掲げ監督就任1年目、第2次政権の参謀となる伊原春樹率いる西武をストレートで破り、
藤田のリベンジを果たす。
2年目は主力バッターの松井秀喜がFAで名門、ニューヨーク・ヤンキースに移籍したこともあり、投手陣が壊滅して3位に転落。
盟友の鹿取義隆ヘッドコーチが辞任したことがきっかけで、大型打線の補強を推進する渡邊恒雄オーナーと三山秀昭代表に
振り回された結果、吉村禎章らコーチ陣と辞表を叩きつける。
次代堀内恒夫も振り回されて2005年に引責辞任させられ、安直に監督を交替して成り手がいない巨人監督を再度引き受ける。
監督復帰後は初年度は4位に留まったものの、2007年からは西武黄金期以来の3連覇を達成。
2009年には今までの実績を変われ、WBC日本代表監督まで引き受けた。
自身が育て、可愛がった無名の亀井義行などを抜擢するなど、恩師の王に引き続けてWBCの連覇に導いた。
2010年はV4と2連覇を目指し、前半戦は首位を保つもV3を支えた投手コーチの尾花高夫が退団して横浜監督に就任したこともあり、
後任コーチの斎藤雅樹、村田真一とともに構想を色々練るも、交流戦以降の後半戦はナインの投打のバランスが崩れたため3位に終わった。
クライマックスシリーズでは、真弓が率いる2位阪神を破るも、落合博満率いる首位中日に再び日本シリーズ進出を許してしまった。
同年オフの「巨人軍OB総会」で、前OB会長でもある恩師の王ソフトバンク球団会長から「巨人は優勝以外は値しない」と言われ、V奪回の厳命を受けた。
2015年、再びV4を目指すも主に捕手の若返りや外国人の補強失敗もあり、レギュラーシーズンを2位で終えた。
クライマックスシリーズはまたも3位阪神を破るも首位ヤクルトに眼前で胴上げを許し、自ら監督を辞任する意を伝え、数日後に辞任した。

監督復帰後の特徴としてはフロントが体制一新したこともあり、第一次政権とは異なる強調路線をとっている。
大型補強のプレッシャーを受け入れ、その影で着実にチームスタイルの改善や選手の質を向上させ、巨大戦力と順位の一致が実現した。
1981年セリーグ新人王。
福岡県大牟田市生まれ、神奈川県相模原市出身。
(東海大相模高→東海大→巨人→引退→巨人コーチ→巨人監督→巨人監督→辞任)
公式プロフィール
HARA Spirit −原辰徳オフィシャルサイト−

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