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通称ワン公:かつての読売巨人軍の超スーパースター。
高校時代は早稲田実業高校のエース兼外野手として、関東に初めて選抜優勝旗をもたらし人気を集めた。
プロ入り後は野手に転向。当時の川上哲治監督は榎本喜八を育てた荒川博の手腕に王の指導を託し、
グリップの不安定さを修正する為に、後の王の代名詞となる「一本足打法」が完成する。その後は長嶋茂雄との
ON砲で巨人V9に貢献。日本一の大打者でホームラン868本の世界記録を残す。
長嶋の背番号が「栄光の背番号3」と言われているのに対し、王の背番号は「栄光のビッグ1」と称された。
この番号は何れも巨人軍の永久欠番となっている。
現役引退後は故・藤田元司監督を補佐する助監督に就任する。
藤田氏から監督をバトンタッチされるとPL学園の吉村禎章に『テレフォンラブコール』で獲得するなど意欲的な活躍を見せた。
しかし、その反面頑固で信念を変えないことから、「長嶋派」の中畑清からいわゆる問題発言の『ワン公事件』を発生させた。
江川卓の引退会見に同席した時も、江川から嫌われてしまうなどの不幸を背負った。
翌年も成績が芳しくなく、ワンマンオーナーのナベツネと衝突し、解任に等しい形で監督を辞任した。
親交があった故・根本陸夫氏の要請で、巨人に訣別する形で福岡ダイエー監督に就任する。
しかし、就任時から早々ホークスファンから卵をブツけられるなどの辛苦を味わいながらも、ホークスを強化させた。
現在はホークスの最高顧問兼GM兼取締役で、同球団の監督として優勝3回、日本一2回達成。
選手の質に恵まれているにもかかわらず、5年続けて優勝を逃してしまう。
因みに、原辰徳と鹿取義隆の現役時代の監督であったことも頭に記憶を残して置きたい。
現役時代の鹿取をよく毎晩ごと登板した「ピッチャー鹿取!」の名台詞は有名。
当然、プロ野球界の大御所の一人で、WBCの初代日本代表監督もつとめる。
かつての部下で弟子の原の身を案じている。
2008年にソフトバンクの監督を辞任。同年オフに秋山幸二に監督のバトンを渡しフロント入りした。
翌年、WBCの日本代表特別顧問に就任し、代表監督に就任した愛弟子の原辰徳を影でアシストし、自分に続き優勝に導かせた。
だが、そのことを野村克也や星野仙一ら一部から顰蹙を買ったともいわれる。
東京都墨田区出身。(早稲田実高→巨人→引退→巨人コーチ→巨人監督→福岡ダイエー/福岡ソフトバンク監督→福岡ソフトバンク球団会長)
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